或る犬の幸福な一日











A.M.7:00。
今日も完成された一日が始まる。
私は焼きたてのスコーンとまだ湯気をたてているハムエッグ、豆から慎重に選んで焙煎したコーヒーという主人のための今日の朝食の出来栄えを一通り確認すると、ダイニングルームを後にした。
寝室に近づくにつれて、主人が好んで纏う甘いコロンの香が強化された嗅覚で嗅ぎとれ、心が浮き立つ。
私の主人。
この完成された世界の神。
わたしだけの、月様。

「失礼します、朝食の準備が整いました」

軽くノックして扉を開けると、私の唯一にして絶対の主人である月様は今だ浅いまどろみの中にあった。
寝苦しかったのだろうか、シルクのパジャマのボタンを二、三外し、白いシーツを纏い付かせた姿すらも艶かしい。

「起きて下さい、月様。出勤の時間に遅れてしまいますよ…?」

「ん、う……てる…?」

くすり、と口許を笑ませて優しく揺り起こすが、主には中々目覚めが訪れてくれないようだ。
寝起きで潤んだ瞳を擦りながらたどたどしく私を呼ぶ様が小さな子供のようで可愛くて、私の鞭のようにしなった黒い尻尾が無意識に揺れてしまう。
私が月様と出会ったのは三年前。
人類はついにクローン技術と遺伝子操作という神の領域を侵して人造人間を創りだし、世間ではキメラ――多種の動物の遺伝子を組み合わせた、人型の愛玩動物を飼うことが一種のステータスとして流行していた。
初めは赤ん坊程度の知能しか持たなかったそれらも、今では技術の進歩によって様々なニーズに合わせ、高度な知能、音楽や運動などの分野での才能などを設定して造られている。
私はドーベルマンとグレイハウンドの遺伝子を組み合わせた、主に警備用のキメラで、狩猟犬の持つ高い運動能力と鋭敏な嗅覚、聴覚などを設定して造られた。
しかしイレギュラーにIQ140という高度な知能をも有してしまった私は、狩猟犬の遺伝子由来の高いプライドも手伝い、宛がわれた飼い主達を侭く拒絶した。
人を陥れて成り上がった小太りの中年男や、きいきいと甲高い叫び声の煩い親のすねをかじることしか知らないような小娘になど、誰が忠誠を誓うことができようか?
私は今でも自分の判断は正しかったと確信している。
そうして最終的に廃棄処分が下されていた私を救って下さったのが、月様だった。
フリーの遺伝子学研究者として学界に様々な成果を残している月様は、私の造られたラボにも度々出入りしている。
そんな折り、偶然にも廃棄施設へ送られるところだった私に出会い、そのまま自宅へと連れ帰ってくださったのだ。
自分の認める主人を見つけることが叶わず、死すらも厭わないと半ば生を諦めていた私は、月様と眼を合わせた瞬間直感した。
この方こそが、私の仕えるべき主なのだと。
そして感動にうち震える私に白く優美な曲線を描く腕を伸ばして、月様はやさしく微笑んだのだ。

『つらかったね…もし君が構わないというのなら、僕のところへくる…?』

うれしかった。
自らの意思を尋ねられたことなど、初めてだった。
当然だ。人間…特に研究者達にとって、キメラはただの商品でしかない。いくら高い知能を有していたとしても、けして対等な存在にはなりえないのだ。
けれどそんな研究者の一人に名を連ねながら、月様はけしてキメラの存在を軽視されることはなかった。
対等な存在として私を認め、そして名を与えてくれた。
亜麻色の髪に紅茶色のあまい大きな瞳、紅い唇に透き通るような白い肌の麗人は誰より有能でいて、何よりも、その真っ直ぐな志が眩しいほどにうつくしい。
月様こそが、まさしく私にとっての神である。
けれど何故あのとき月様が私などを選んでくださったのか、私には未だに解らない。
今は月様に身奇麗にして頂いているものの(ピンと尖った黒い耳と鞭のような細く長い尻尾、鍛え上げた長身と顔の造作などの容姿は、月様が褒めて下さるので私にとっても自慢だ。)、当時の私は飼われることを拒否して暴れていたせいもあって、ろくに風呂にも入れられず、身なりは相当酷いものであった。
それを尋ねると、月様は悪戯そうな笑みを浮かべ、決まって『それは照が照だからだよ』と仰っしゃるのだが。
しかし…そう、そんな瑣末など気にする必要はないのかもしれない。
少なくとも、これまでも…そしてこれからも、私が月様に忠誠を誓うことに変わりはないのだから。

「月様…」

「…んっ…ぁ……やあ……っ」

私はむずがる月様の目尻に溜まった涙を吸い取り、そのしろくちいさな顔へとぺろぺろと舌を這わせた。
くすくすと笑いながら、擽ったそうに身をよじる様子に気を良くして、耳元を辿り、細い首筋へと唇を落としてゆく。
月様の要望に従って少し長めに伸ばした、瞳と揃いの漆黒の髪が、その所作に従って私の肩をさらりと流れた。

「も……ダメだって、くすぐったいよてる……」

「月様が早く起きてくださらないからです」

制止の声に笑いを含んだ声で応える。
が、次に月様の唇から漏れた名前に、私は忌ま忌ましげに眉を歪めて見せた。
頭上で真っ直ぐ立った黒い耳も、苛立たしげにピクリと震える。

「ホントに今日は早く行かないと駄目なんだって…竜崎と約束があるし」

「………。」

「それに清美とも次の学会発表の打ち合わせがあるんだ」

「……………。」

「メロやニアもなんか言ってたし…あ、そうだ、海砂と昼食の予定も入れてたっけ…」

「……………………。」

「…あと松田さんと相田さん達とも何かあった気が…えーと、それと…」

「…ダメです。」

「ぇ?」

「今日はもう外には行かせません。月様には家に居て頂きます。」

「ええっ」

私は主人の身体にガバリと襲い掛かった。
高いIQのお陰で、普段私は論文のまとめや研究資料の作成、発表原稿の推敲など月様の研究の手伝いをさせて頂いている。
しかし私は所詮キメラ――人間の言うところの愛玩動物、″ペット″であり、当然ながら、月様の勤める研究所へと足を踏み入れることはできない。
つまり私が月様のお側で、月様のお役に立てるのは家の中だけであるのだ。
そのため、私には月様の口から出る家の外での話題に、少々過敏になるところがあった。
その最たるものが、度々月様のお話に登場する、竜崎、高田清美、弥海砂、ニア、メロなどという人間達だ。
まだ実際に会ったことはないが、顔を合わせるまでもない。敵だ。
犬はテリトリー意識が強い動物である。
犬の遺伝子を主格に造られた私も、その例に漏れることはない。
本来ならば速やかに削除したい対象である。
けれど今はまだ、どうすることも出来なくて。
昨今は莫大な金額ではあるが、それさえ支払えばキメラにも戸籍や人権、市民権等が与えられる法律が成立している。
月様の許可を頂き、飲食店などでアルバイトして手に入れた給料を元手にして(月様に頼めばいくらでも貸してくださるだろうが、私自身の手で稼いだものでなければ意味がない)株の売買などでそれなりに稼いではいるものの、目標金額にはまだ僅かに届かない。
私はもどかしさに舌打ちしつつ、月様の白い肌にいくつもの赤い痕を散らした。

「んっ……も、コラっ!照…っ!……いい加減にしないと、『命令』するぞ………っ」

「クッ……」

私は月様の犬だ。
正式に下された『命令』には従わねばならない。
だからこそ、月様は私の意思を尊重して『命令』を下すことは滅多に無いというのに……。
それ程までに重要な用件なのだろうか…月様は私よりそれを優先するのか、その方が私よりも大事なのか。
私の全ては月様であり、私には、月様しかいないというのに。
どす黒い何かが胸を吹き荒れるが、私はいつものようにそれを無理矢理理性で押さえ付けて、哀しそうな表情を顔に張り付けて見せた。
月様がこの表情に弱いのはよく知っている。

「いくら月様がそう仰っしゃっても…ダメです、行かせません。
月様は研究発表の締め切りに追われて、最近はろくにお帰りにもならないじゃありませんか。
あまり睡眠を取っていないんでしょう?お疲れになっていらっしゃるのは、そのお顔を見ただけで解ります。
それに………お忙しいことはよく存じておりますが、久しく月様に構って頂けなくて、私は……寂しいです。」

「照……」

後半は弱々しく、しゅん、と耳を伏せ、尻尾を萎れさせてうなだれて見せれば、月様は痛々しげに細い柳眉を寄せた。
もう一押しか……。
心の中でにやりと会心の笑みを浮かべる。

「いえ、出過ぎたことを申し上げました…。どうか今お聞きになったことはお忘れ下さい…」

「………もう、しょうがないなあ…っ」

海外有名ブランドの特注品である、最上級の革を使用したシックな黒の細い首輪をぐい、と引かれ、月様の方へと引き寄せられた。

ちゅっ

軽い音を立ててくちづけが落とされ、恥ずかしそうに白い頬を赤らめた月様の顔が再び離れてゆく。
名残惜しく思いながらも、問いかける視線を投げ掛けると、月様は怒ったような困ったような表情を浮かべてみせた。

「今回だけは特別だからな…!
照はその、僕のものなんだし、主人なのに放っておいて寂しい思いをさせたのは僕なんだし……ああもう!
とにかく、今日は僕は仕事に行かないから!照は一日僕の傍にいろ!」

「……!!はい!」

やはり月様はお優しい。
私は『お預け』を『ヨシ』された気分で…いや実際にそうではあるが、尻尾をぶんぶんと大きく振りながら本格的に月様の上にのしかかった。
用意していた朝食のことが一瞬頭をよぎるが、そんなことなど月様の美味そうな肢体を前にすればすぐにどうでも良くなってしまう。
しかしパジャマの襟をはだけさせ、隙間に腕を滑り込ませてそのなめらかな肌の感触を楽しんでいるところで、月様が私の胸を軽く叩いて制止させようとするので私は小首を傾げて一旦動きを止めた。

「月様…?」

「……こら。僕が疲れているから休ませるんじゃなかったのか?」

「………やっぱり、駄目ですか…?」

うるうると切なげに瞳を細めると、月様がう…と息を呑む。
小動物型のキメラと違い、私のような、大型犬の遺伝子を汲んだ図体のデカいキメラが瞳を潤ませても不気味なだけだと思うのだが(私なら願い下げである)、月様には可愛く映るらしい。
ふう、と仕方なさげに小さくため息をつくと、月様はやわらかい微笑みを浮かべた。

「ほんとに、照は甘えん坊だな…」

「月様、愛しています…貴方だけが私の神、わたしの生きる、すべてです……」

私はいとしい主に深いくちづけを落としながら、うっそりと昏く瞳を歪ませる。
待っていろ愚民ども。
戸籍さえ手に入れたなら、すぐに月様の傍から削除してやる…。
月様の研究所の同僚で月様に言い寄っているという竜崎、同じく同僚で元恋人の高田清美、何かと月様を煩わせる竜崎の助手だというニアとメロ、月様の学会発表を見かけてファンになったと追いかけまわしている現役女子大生アイドル弥海砂……一人ずつ脳内の削除リストに名を書き連ねていくが、考えればきりがない。
それもこれも、魅力的すぎる主人がいけないのだ。
その上、普段は切れ者であるくせに肝心なところで鈍いから、こちらは心配で心配で毎日気が気ではない。
私などの性質の悪いものにもすぐ騙されるようなひとだから(そこも可愛いのだが)、出来ることなら四六時中目を光らせていたかった。

「ぁ…はっ……て、る……ぼく、も……ふ、…てるがいちばん………すき……んぁ…あぁ…っ…」

愛しい愛しい私の月様が、目許を赤く染めて私を求めている。
私は邪魔者を削除する算段を立てながら、月様に最高の悦楽を捧げることに没頭した。



















ハイ、今回もイロモノです…飼い主月たんとわんわん照(若干腹黒い)という、なんとも頭のわるさ丸出しなパラレル……ごめんなさいいい!!!(スライディング土下座
しかもエロ入れたいなーと思っていたのですが、途中で力尽きました(爆死
でも続き書いてみたいな…今度はエロ有りでリベンジを…!
って、続きモンばっか作ってちゃ駄目だろ自分!(汗
そうそう、いやもうずっと前から知ってはいたのですが、リンク先サイトさんを回っていたらショッキングな事がありました…。
一件は私が初めてリンクさせて頂いたサイト様で、もう一件は私が初めてリンク申し出をさせて頂いたサイト様なのですが…前者の方はサイト閉鎖、後者の方は私の更新が滞っていたためにリンク整理されてしまっていました…。。(涙
いやあ、私もリアルでいろいろ御座いまして、なかなか手が回らなかったからなあ…(反省
こういう時どうしたら良いのか分かりませんが、一応私の方はこのままリンクさせて頂きたいなと思いますっ!
こんなアホ妄想で申し訳ないのですが、こっそりお二人に捧げさせて頂こう…後者の方はまた戻ったら報告すればリンクして頂けるそうですが、チキンな私には到底無理だわ…これからもこっそりストーキングさせて頂きます!大好きですーっ!(こんなトコで言うなYO!
前者のサイト閉鎖されてしまった方も、復活&ご健康でいらっしゃることをお祈り申し上げております!大好きですーっ!(またかYO!
さって、次は芸能照月の続きを仕上げなくては…ご要望通り、ギャグ編を予定しております!
ホントまたまた趣味全開ですんません………(滝汗

御影








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2007.02.08