獣の家(むくつなver.):番外篇
「千種、犬、今回もご苦労様でした。」
「いえ……骸様の御命令ですから……」
「うい〜っす」
満足げな主のねぎらいに、眼鏡のブリッジを軽く押し上げつつ柿本千種が無表情で応えた。
その台詞とは裏腹のいかにも面倒臭そうな口調だったが、何時もの事なので咎められはしない。
週に一度の定期報告に共に出向いていた城島犬は、お馴染みの受け答えに飽きたのか鋭い犬歯を覗かせながら、くあ、と大きな欠伸を漏らしている。
都内の一等地に建てられた、六道グループ所有の高層ビル最上階。
先週とさほど変わらない内容の報告書にも隅々まで目を通して、彼等の主であり、このビルの実質上の支配者、世界に名だたる六道財閥の次期当主・六道骸は上機嫌に色違いの双眸を細めた。
今では伐採禁止となっている最高級のホンジュラスマホガニーを惜しげもなく使った特注品の広々としたデスクには、ノートパソコンや骸の担当しているグループ子会社に纏わる重要案件の書類などが乱雑に脇に押し寄せられ、代わりに何十枚もの写真が広げられている。
外から室内を写したものや野外を写したものなど、撮影された場所は様々ではあるが、いずれの写真も必ずある人物にピントを合わせて撮られていた。
やや癖のある焦げ茶の髪に、同色の大きめの瞳。童顔ではあるものの、特にぱっとすることもないごく平均的な容貌。
隠し撮りだろうか、写真の中では、そのどちらかというと地味だと言える青年が、微妙に目線を外しつつもカメラに向いて様々な表情を見せている。
困ったように微笑んでいる顔がアップになった一枚をうっとりと見つめ、骸は指の背でその輪郭を愛おしむようにそっと撫でた。
「ああ、兄さん…早く迎えに行ってあげたい…」
思わず本音が骸の薄い唇から零れ落ちるが、ここには凡庸な異母兄に対する主の常軌を逸した執着をよく知る二人の部下しかいないのだから、気にすることはなかった。
分家筋として代々六道本家を支えてきた柿本と城島。
千種と犬の二人は骸と歳が近いこともあり、幼い頃より骸に仕えている直属の部下だ。
六道グループ後継者としての器を各方面に知らしめねばならない骸は、名義上は分家の叔父を代表としたグループ配下の子会社を、既に数社任されている。
幼い頃より英才教育を受け帝王学を叩き込まれてきた骸にとって会社経営など造作もないことではあるが、学業をも全うしなければならないためやはり全てに目を届かせることは難しい。
そのため本社との提携や経営等表に関わる補佐を千種が、内部不正者や裏切り者への制裁等裏に関する補佐を犬が、それぞれの家の役割に従って重要な働きを見せていた。
お陰で骸の請け負ったどの会社も、順調な成長を遂げている。
このビルもその一つに造らせたものだ。最上階はまるまる骸の執務室とプライベートスペース、その一階下は千種と犬がフロアを分け、下層は各社の統括オフィスとして機能している。
けれど、報告を受け指示を出すだけの骸と違い、現場指導に地方にもある各社を飛び回る千種と裏の実働部隊を率いている犬がここに留まることは、骸と共に同じ学校へ通っていることもあってほとんどない。つまり、それだけ多忙であるのだ。
にも関わらず、骸は最も信頼のおける直属の部下達へ厳命し、毎週直接の報告を徹底させていた事柄が、ただ一つ存在していた。
それが、骸の異母兄である沢田綱吉に関する調査だった。
別に、後継者争いを警戒しているわけではない。
そもそも妾腹である綱吉には、嫡男である骸が死亡しない限り後継権は存在しなかった。
ただ、六道骸の一存に依るものだ。
骸と長い付き合いである千種と犬は、その綱吉への骸の執着を迷惑混じりに呆れを込めて見つめていたが、主に意義を唱えることはなかった。
六道骸は彼等の絶対であるのだから。
「そういえば、あの愚鈍な兄さんにも彼女ができたんでしたね。そろそろ一ヶ月ですか。
何か肉体的接触はありましたか?SEXは?
…まあ、あの淫乱な躯が女なんかで満足できるとは思えませんけど。」
沢田綱吉が六道本家の屋敷から逃げ出してから、まだ三ヶ月程しか経っていなかった。
朝起きて会社に行き、適当な惣菜を買ってから夜は真っ直ぐ帰宅するという綱吉の単調な日常報告に僅かな変化が生じたのは、つい最近の事だ。
やっと思い出したかのように綱吉と恋人との関係の進展について、あられもない質問を平然と行った骸を静かに見返し、千種が答えた。
「……ええ、確か先週もそうご報告したはずですが。
報告書にある通り、確認されているのはキスまでです。それも兄上様の御自宅で一回のみ。
今のところ相手の家やホテルに行った事も無く、二人きりになるのも御自宅のみですね。
24時間見張らせてはいますが、万一目を離した隙があったとしても、おそらく性交渉を持った可能性は限りなくゼロに近いでしょう。出されたゴミからもその様な痕跡は出ていません。
はぁ………めんどい……なんなら、御自宅に設置した盗聴器と小型カメラの記録がありますが。用意しますか?」
先週も同じ問答を繰り返し、先ほど報告書でも確認しているはずなのに同じことをわざわざ何度も話させる骸にいい加減うんざりしている千種が、ボソリと口癖を呟いたのも無理はないだろう。
しかしそれを気にかけることもなく、くすくすと怜悧な美貌を緩めて骸は満足げに頷いた。
「クフ、……ええもちろんそうでしょうね。あの人がそう手を出せるはずがない。
…でも、少し自由にさせてやっただけででもう他の人間に目移りするなんて、尻軽にも程がある。お仕置きはたっぷりしないとね……。
ああ、記録は何時も通り後で寄越して下さい。なんせそれが僕の唯一の楽しみなんですから。」
「………………めんどすぎる………」
どうせ記録も確認するなら最初から聞くなと言いたげな胡乱な目つきをした千種に、犬が同情的な視線を向ける。
しかし今度は自らに矛先を向けられて、犬はさもいまいましげに眉を顰めた。
「確か、護衛と身辺の人間の調査は犬の担当でしたね。どうでした?」
「べっつにー。いつもどーり、なんもないれすよ〜。
つーか、全部報告書に書いてあるって柿ピーも言ってんじゃないれすかー!」
「そうですけど、僕の大事な兄さんの事ですから。
僕は、信頼している君達から直接聞きたいんですよ。
それで、同僚とかいう山本武の方は不穏な動きはしてないんですか?」
決死の抗議もニコリと端整な笑顔で流されてしまい、犬の体を多大な脱力感が襲った。
けれど主の問いに答えないわけにはいかない。
ぐるると獣のように不満げに唸りつつ、犬は口を開いた。
「だーかーらー、なーんもないれすよ。
てか、骸様の兄上サマには悪ぃーケド、あんなチンチクリンにナニするってゆーんれすか?
ボケっとしてるし、オドオドしてて弱っちそーらし〜。
あんな弱っちいウサギちゃんに興味持つよーなキトクな人間、オレ、骸様しかいねーと思うんれすけどォー!」
同意するように微かに頷く千種を見て、骸がクスリと唇の端を吊り上げる。
「ああ、もしかして千種もそう思ってるんですか…?クフフフ、…全く、二人とも分かってないですね。
そこがいいんですよ……一見非力そうに見せて、どんな責め苦を与えても、けして折れようとはしないトコロがね……。
兄さんはね、ただそこにいるだけで、ある種の人間の神経を逆撫でするんですよ。」
その凄絶な美貌に愉悦に歪んだ笑みを浮かべて、骸は先を続けた。
「ぐちゃぐちゃに引き裂いて、這い蹲らせて許しを乞わせたくなる…その全てを支配しなければ気がすまなくなる。
……特に、僕のような人間は、ね?」
その美しく、それ以上に禍々しい笑みを見た瞬間、千種と犬は背筋をゾッと冷たい物が駆け上るのを感じた。
しかしそれはすぐに消え、いつもの感情を読み取らせない能面のような笑顔を貼り付けた骸を前にして、心中でホッと安堵の溜息を吐く。
千種の着込んでいる都内進学校のブレザーの胸ポケット、無造作に突っ込んでいた携帯がブルブルと震えたのを機に、部下二人は暇を告げて腰を折った。
それを見て、骸が軽く頷き退室を許可する。
ふと顔を上げた千種が、伺うように骸を見上げて尋ねた。
「引き留めすぎましたね。二人とも、ありがとうございました。
今日はもう下がっていいですよ。」
「は、…………しかし、骸様。良いのですか…?」
「何です、千種。」
先を促す骸を見て、千種は淡々と言葉を続ける。
「いえ、兄上様の事ですが…すぐに連れ戻す事も可能ですが。」
「ああ……まあ、あのヒトとの契約ですからね。たまには従うのもいいでしょう」
「はあ…骸様に異存がないのでしたら、俺は別に構いませんが……」
綱吉が屋敷を出奔したと聞いてすぐ、骸は六道グループ総本社にまで出向き、直接父親と対峙した。
連れ戻さないのですか、と獲物を狙う猫科の肉食獣のように妖しく光るオッドアイを細めて尋ねた息子に、父親は、屋敷に残るも出るも綱吉の自由だ、好きにすれば良い、と淡々と告げた。
父親なりに綱吉の母親に対して思うところがあったのだろうが、やはり一族の人間中に冷酷無慈悲と恐れられている彼らしく、放り捨てるつもりもないが、干渉する気もないようだった。
だから骸は、主張したのだ。
父さんがいらないのなら、僕が貰うから頂戴、と。
いつかの幼い頃そうしたのと、同じように。
お前が欲しいと思うのなら、お前のものにすればいいだろう、と父親はあっさり頷いた。
しかし六道グループについてしか関心の無い彼が、ただし、と出された条件が、現在骸が軌道に乗せている関連会社の建て直しだったのだ。
元々子会社の大方は分家筋の者達に任せているのだが、末端にはやはりグループの力に胡坐をかいた無能者も数多く、そのうち最も酷い経営状態に陥り倒産寸前の数社を建て直せという要求だった。
それを成したなら、私はお前のすることには一切干渉する気はない。そう彼は続けた。
それは骸にとっても望むところだった。
後継者の資格について五月蝿く喚く本家に近い血筋の分家の老人達を黙らせるためには、遅かれ早かれそれなりの力量を示さねばならない。
やるからには関連会社の中でも1、2位を争う位にまで請け負った会社を押し上げなければならなかった。
それに、骸にはある思惑があった。
故に、骸は実の父親であり、現六道財閥当主でもある男から出された条件を快諾したのだ。
六道グループの関連会社は多岐に渡り、莫大なる利益を上げている優良企業も数多い。
その中で、落ちぶれた会社をその中で勝ち組まで引き上げるには多少時間がかかることも十分に承知した上での判断だった。
「アー、兄上サマのコイビト?の方もどーとでもできますケド。別れさせますかァ〜?」
千種に倣い、犬も骸に進言したが、骸はニッコリと爽やかな笑みを湛えて緩く首を振った。
「自分が本当に自由になったのだと心から信じ込ませた方が、突き崩してやるときに、愉しいでしょう?」
自由を感じた時間が長ければ長いほど。
過去と関わりのない人間達と交流を深め、幸福を感じれば感じるほど。
捉えたときに兄を襲う絶望は深くなるだろう。
そう、もう二度とこの六道骸から逃げ出そうなどと馬鹿げた計画を思いつくこともないほどに。
ああ、わざわざ監視などとまだるっこしい手順を用いておいて一向に連れ戻そうとしない理由はそれか、と漸く納得した千種と犬は呆れ混じりに肩を竦めた。
再び軽く一礼して骸の執務室を出て行く、白いニット帽とツンツンに立たせた金髪頭を見送って、骸はその印象的な紅と青の目をゆっくりと閉じる。
初めて兄の身体を蹂躙した日のことを思い出して、思わず整った口元に恍惚とした笑みが浮かんだ。
あの日ほど、自分が満たされるのを強く感じたことはなかった。
兄の奥深くまで強引に潜り込み、そして直接生々しい鼓動を知った、あの愉悦。
どんなに酷く殴りつけても、蔑んでも、心の奥底ではけして折れることのなかったあの兄が、初めて純粋な恐怖のみを映して自分を見た瞬間の、あの歓喜!
無理に抉じ開けようとしてもけして入れなかった彼の心に、永遠に癒えない深い傷を刻み込んだあの一日のことを、骸が忘れることは一生ないだろう。
兄は。僕の綱吉は、またあの途方も無い幸福を自分に与えてくれるのだ。
綱吉の甘美な躯の味を知り尽くしている今、他の人間とのSEXなど骸にとっては排泄処理の一環にしか過ぎなかったが、その時を思えばたかが数年の辛抱など容易いことである。
どんな風に再会を飾ろうか?
どんな風に真実を突きつけ、追い詰めてやろうか?
実に愉しそうに再会のシチュエーションを夢想しながら、骸は面倒な残りの仕事を片付けるべく、端へ寄せていた書類へようやく手を伸ばした。
終
こ、光栄にも、むくつな義兄弟見たさに毎日通っていますというお言葉を頂いてしまい、あまりの申し訳なさに急いで書き上げました…!;
更新遅くて本当にごめんなさいいいいいいい!!!!!(土下座
義兄弟ものの続きは正式にはひばつななんですが、むくつなをお気に召されているようなので番外という形でこちらをば…エロどころか綱吉の影も形もありません☆(爆死
ええと、綱吉が逃げ出してからまもなく、再会までの空白の期間の骸の一幕、というところでしょうか?(聞くなYO!
まあ、うちのムックンは変態がデフォですよ☆ということはよく存じて頂けたかと…部屋に盗聴&盗撮どころかゴミあさらすなよ(笑
この分だときっと私物も持ち帰らせてるんでしょう…ぼけっとしてる綱吉はきっと気づかないから、そうしてコレクション増やしまくってるんだよきっと!(ぇ
あれ…?おかしいな、この話の骸はクールで鬼畜だったはずなんですが…どんどん乙女で変態の方向へ…アッレ?
まあ、こんな主人に仕えなきゃいけない千種と犬が気の毒です…え?違いますよ私が変態骸に書いてるんじゃないですよ、勝手になっていくんですよ!(撲殺
何がともあれ、こんなんでも少しでも楽しんで頂ければ良いのですが…そして謝罪の代わりになれば…!(汗
御影
※ブラウザバックでお戻り下さい。
2007.09.14