うたかたの恋人:前編
「つなよしくん」
どこかで誰かが、甘ったるく俺を呼んでいる。
「…ん…ぅ……」
「綱吉君ってば…寝顔の君も可愛いですけど、今日は僕と約束があったでしょう?」
誰だろ…母さん?
もう、今日は日曜だってのに、もう少し寝かせてくれたって……。
「や…だ……も、ちょ…と寝かせ…」
「全く、仕方ないですね…大事な恋人を放って眠る悪いヒトには、お仕置きが必要ですよね…?」
ふに、
やわらかい感触が頬を辿り、やがて唇に軽く触れた。
はむ、と上唇を甘噛みされて、微かに開いた隙間に何か濡れたものが捩込まれる。
クチュクチュと恥ずかしい音を立てながら縮こまっていた自分の舌を引きずり出され、強く搦め捕られるにあたって、ようやく綱吉は惰眠を貪って深く沈んでいた意識を一気に覚醒させた。
「………ンッ!?んううううーッ!!!!」
異変に気付いて何事かと見開いた視界のど真ん中、滲んだ紅の中に六の文字だけが黒々と浮かび上がっている。
のしかかっている長身の、しなやかな筋肉が張り付いた背中を力任せにドンドンと叩いて、ようやく名残惜し気に身体を離されるなり綱吉は絶叫した。
「む…骸ォォオオオ!!!
おっ、お前何しやがってんですかァァァアア!!」
「………?何って、キスですけど」
「キイャァァァアアアーッ!」
至近距離で悲鳴を聞かされて、骸が細い柳眉を僅かに寄せる。
「別に、恋人同士なんだから当たり前じゃないですか」
何か聞き捨てならない台詞を聞いたような気がして、綱吉はビシリと硬直した。
「………………………ハア?誰と誰が…?」
「誰って、」
綱吉の怯えを含んだ問い掛けに、骸が拗ねたようにむすっとむくれて見せる。
常日頃骸に対し、『クハハハ!マフィアは全員皆殺しにしてやります!』みたいなイメージしか抱いていない綱吉にとっては背筋がうすら寒くなるような仕種だ。
「もちろん僕と綱吉く」
「ウワアアァァァアアア!!」
当然のように続けられた言葉の先を聞きたくなくて、綱吉は両手で耳を塞いで布団の中に潜り込んだ。
ありえないありえないてゆーかマジありえないだろ何この展開!
夢か何かだとしか思えない。
きっと俺、リボーンのスパルタで疲れてたから変な夢か幻覚でも見ちゃったんだよ、そうに決まってる…いや、そうであってくれ…半ば本気で期待しながら、綱吉は布団を被ったままおそるおそる顔を外に覗かせた。
いくら目を擦っても頬を思いきり抓っても、愛おしそうにこちらを見詰める六道骸などという薄ら寒い光景は消えてくれくれない。残念ながら、この状況は紛れも無い現実のようだ。
綱吉は怯えた目で骸を見上げた。
クフフ、と僅かに頬を染めた骸が砂を吐きそうな甘ったるい笑顔を浮かべる。
「クフ、照れてるんですか…?
綱吉くんは恥ずかしがり屋さんですからね。そういうところも大好きですけど。
そうしていると怯えた子リスみたいでとっても可愛いですよ」
「…………………。」
人間不信で世界戦争を目論んでいる人物とはとても思えない歯の浮くような台詞の数々に、綱吉は全身にぞわっと鳥肌を立てた。
語尾にハートマークがついているのが目に見えるようだ。
もはや得意のツッコミ(怯えた子リスって…お前に怯えてんだっつーの!)をする気力すら持てない。
も、いい………深く考えんのやめよう………。
どうせ骸の新しい嫌がらせか何かだろ…最終的にそう結論づけた綱吉は、持ち前の順応性の高さを発揮して(人はそれを流されやすいと言う)それ以上の思考を放棄した。
「さ、いつまでもそんな所に隠れてないで、出てきてもっとよく可愛い顔を見せてください、ね?」
「ああ、うん………」
とりあえず骸が飽きるまで付き合うことに決める。
優しく促す声に従って、綱吉は虚ろな目をしながらももそもそと布団から這い出した。
「さて、今日はデートする約束でしたよね。
どこに行きたいですか?うーん、やはり動物園がいいですかねえ…」
「…………は?何で動物園?」
六道骸と動物園。似合わなさすぎる。
というか寧ろ『動物なんて見て何が楽しいんですか?まったく、脳天気そうなバカ面下げた奴らがウヨウヨいて吐き気がしますね!』ぐらいのことは言ってそうだ。
デートうんぬんという部分は聞かなかったことにして、不思議に思った綱吉は骸に問いかけた。
「何って、綱吉くん、動物お好きでしょう?」
さも当然のように言われて、驚きに綱吉の茶色の瞳が丸くなる。
「え…骸、俺の好みなんて知ってたの?」
「ええ、もちろん。
動物では特に犬が好きで、駅前のケーキ屋のフルーツプリンが大好物。だけどチーズケーキは少し苦手。
綱吉くんのことなら何でも知っているし、知りたい。
…だって、僕は君の恋人ですから」
「う………」
紅と青のオッドアイを甘く眇めてとろけるような笑みを浮かべる骸を何故だか直視できなくて、綱吉は居心地悪げに視線をさ迷わせた。
何か胸のあたりにくすぐったいものが込み上げる。
少し熱くなった頬をごまかすように、綱吉は口を開いた。
「ま、まあ、とにかくさ…今日は気分じゃないから外はやめて家にいない?」
「はい、いいですよ」
骸がどういうつもりなのかは解らないが、もしかしたら頭でも打って本気でそんな可哀相な妄想を信じ込んでいるのかもしれない。
どちらにしろ、性格は破綻しているが見た目が飛び抜けて良い骸は普通にしていれば女の子にもさぞモテるのだろうし、男の、それも平均以下の自分とデート(…)なんて骸にとっても不快極まりない状況だろう。
それに何を仕出かすか分からない今の骸と外を歩くのは不安だった。ニコニコしながら手を繋ぎましょうとか言ってきそうだ。
そう思って提案したのだが…間を空けずに即答されて、綱吉は思わず骸に聞き返した。
「え…そんな簡単にいいの?骸はどっか行きたい所とか無かったのか?」
「はい。僕は綱吉くんの傍にいたいだけですから」
にっこりと極上の笑顔で返されて、何だかどぎまぎしてしまう。
うおーいしっかりしろ俺!何で骸相手にドキドキなんかしちゃってんだよ!
まさか洗脳かな…でもちゃんと思考もはっきりしてるし…いやいや!毒されたらだめだ!
綱吉は基本的に美形に弱かった。
ダメツナライフが長かったので自分に無いものを持つ人間に憧れてしまうのだ。
でなければストーカーと化している自称右腕の人間を友人として扱ったりはできない。
「……じゃあ今日は、家で遊ぼっか」
その投げやりな綱吉の一言で、一日綱吉の自室で過ごすことが決定された。
遊ぶといっても特にすることもなく、綱吉が漫画を読んだりゲームをしたりするのを骸が愉しそうに見詰めているだけだ。
骸は綱吉にとても優しかった。
母の奈々が出してくれたジュースやお菓子をかいがいしく運んだり、新発売のアイスのCMを見てあれ食べたいなあと何気なく綱吉が呟けば近所のコンビニに走ったり、とにかく甘やかして世話を焼きたがる。
今まで見てきた姿とのあまりの変貌ぶりに、綱吉は自分の方がおかしいような気がしてきた。
奈々はべったりな二人を疑問に思ってないようだし、一番正しいことを言ってくれそうなリボーンは何処かに出掛けているのか、ビアンキやイーピン、ランボと共に目覚めてから姿を見ていない。
前の骸を見れば考えられない程の穏やかな時間が流れ、気付けば窓の外はすっかり暗くなっていた。
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2007.09.17