うたかたの恋人:後編
「………さて、そろそろ僕は帰りますね。千種と犬が待ってますし」
「あ、うん…今日はごめんな。ろくなもてなしも出来なかったし…」
時計を見て立ち上がる骸を追い掛け、綱吉も腰を下ろしていたベッドの端から立ち上がる。
ふと視線を感じて顔を上げると、骸の色違いの瞳がじっと綱吉を見詰めていた。
「……何?」
「それなら、」
骸はゆっくりと言い募った。
「それなら、君からキスしてくれませんか?さよならのキス」
「な…ッ!はあっ!?」
あまりな骸の要求に、綱吉の唇からすっとんきょうな叫びが漏れた。
確かに本日自分はもてなすどころか世話を焼いてもらってばかりだったし、特にすることもなかった骸は退屈だったのかもしれない。
だからといって、キス?何でそうなるんだ?
顔を引き攣らせる綱吉を見て、骸は悲しげに柳眉を寄せた。
「やっぱり、無理ですよね………何だか今日は、一日中ビクビクしていて、綱吉くんの様子がおかしかったし」
「うぐ……」
嫌がらせの場合油断させておいて何をするつもりなのかとビクビク警戒していたことを指摘され、綱吉は小さく呻いた。
端整な顔に陰が滲むと、更に悲壮感が増して見える。
骸は今日は一度も見せることがなかった昏い目で、自嘲の笑みを浮かべた。
「…いいんですよ、無理しなくて。
綱吉君も、本当は僕のことなんて嫌いなんでしょう?
そりゃそうだ、僕みたいな忌ま忌ましい存在を好いてくれる人間なんて、何処にもいるわけがない………」
「違う……ッ!そんなこと絶対に無いっ!」
そんな風に自分を卑下する骸が痛々しくて、これ以上見ていられなくて、綱吉は大きく声を張り上げた。
くすりと暗く双眸を笑ませて、骸が探るように綱吉を見る。
「なら、してくれるんですか…?キス。」
「す、するよ…!すればいいんだろ!」
「本当ですか!」
「う、うん………」
売り言葉に買い言葉のごとく、半ば勢いで綱吉が宣言するのを聞いて、途端にさっきまでの悲愴な表情が嘘だったかのように、骸がにっこりと華やかな笑みを浮かべた。
もしかして俺、騙された…?
けれど森で出会った時のように、邪気の無い顔で嬉しそうに頬を染めてはにかむ骸を見れば、今更できないなどとは言えない。
何か釈然としないものを感じつつも、綱吉は小さく頷いた。
「さあ、どうぞ」
「………ぐう」
骸に促され、今度こそ覚悟を決める。
悔しいが少し骸の方が背が高いので、その思ったよりもがっしりとした骸の肩に両手を置き、綱吉は僅かに背伸びをして顔を近付けた。
あ、睫毛長い……。
端整に整ってはいるが、けして女性的ではない美貌を前に、緊張しているのかどうでもいい思考ばかりが頭に浮かんだ。
「……ッ…………!」
お互いの顔が鼻先が触れ合うまでに近付いた時、綱吉はぎゅっと目をつぶってそっと唇を押し当てた。
思ったよりも、乾いた感触。
少しかさついているが、でも柔らかい。
緊張のあまり、思わず息まで止めてしまう。キスした経験などないのだから、不慣れなのは当然だ。
十秒……十五秒……も、もう離してもいいかな…もう十分だしいいよな…次第に息苦しさを感じ始めた綱吉は不器用な口付けを解こうと静かに首を引こうとした。
「ん、う…………うむーっ!?」
が、今度は向こうの方が強く迫ってきて離れない。
だんだん酸素が足りなくなってきて、半ば本気で血の気が引いてくる。
鼻で呼吸すればいい話なのだが、酸欠にパニックに陥りかけていることもあって、なかなか上手く呼吸をすることができない。
「…むぐーッ!!」
ついに耐え切れなくなった綱吉は、力任せに自らの顔に張り付いたものを投げ飛ばした。
パン!と軽い音が響いて、瞬間、綱吉の頬を何かが掠めていく。
「うるせーぞ。」
可愛らしいと言える舌ったらずな、けれどそれに見合わない抑揚の無さが不気味な声。綱吉の聞き慣れたものだ。
その声に促されるように、綱吉は恐る恐る瞼を開いて、そして茫然とした。
「起きろ。今何時だと思ってんだ」
「え…リボーン?骸はっ!?」
いつもの帽子とスーツに身を包んだリボーンが、銃を構えてやや不機嫌そうにベッドの上に仁王立ちしている。
部屋の隅々まで目を走らせるが、骸の姿は何処にもない。
窓の外は明るい日差しに満ちていた。
何で俺ベッドにいるんだ…しかも何で朝……確かまだ夜だったはずじゃ……。
不可解なことだらけで頭が痛い。
頭を抱えた綱吉は、しかし次のリボーンの言葉にガバリと勢い良く俯かせていた顔をあげた。
「何言ってんだお前。骸ならまだ監獄の中だぞ」
「そんな…だって今さっきまでここに!」
「夢でも見てたんだろ」
「そんなはずが…」
自分でもあまりに異常な状況に、夢ではないかと何度も疑っていたのだが…しかしその割りには何もかもがリアルすぎて、夢だなんて信じることができない。
それに、夢だったのなら、あの感触は何だったんだろう……思わず先程の自分からのキスのことを思い出してしまい、綱吉の顔が真っ赤に染まる。
しかし、次の瞬間その謎もあっさりと解明されることとなった。
「しかしよく寝てたな、ツナ。レオンを顔面に張り付けてやっても起きる様子がないから、次は頭に一発入れてやろうかと思ってたとこだぞ」
「ちょ…オイ!窒息死するとこだっただろーがァ!」
叫びながら、内心安堵する。
そうかレオンか…綱吉に弾き飛ばされたレオンがリボーンの隣できょとりと首を傾けるのを見て、乱暴にしたのを申し訳なく思いながら、綱吉はホッと息をついた。
そうだよ、夢に決まってる。大体、骸だって俺のこと嫌いなんだろうし…どうしてあんな夢見ちゃったんだろう、俺。
最近骸のこと気にしてたからかな……。
一人冷たい水牢に閉じ込められている骸のことを考えると、痛ましくて、胸が引き絞られる。
いつも様子を心配していたから、きっとそれであんな変な夢を見てしまったのに違いない。
心の何処かで、僅かに夢を名残惜しく感じている自分に気付くことなく、綱吉はそう考えて納得した。
「おい、ツナ。ところで時間はいいのか?」
「…………はあ?」
「分かってないようだが、今日は平日だぞ。
いつまで経っても起きてこないから、俺が起こすようにママンに頼まれたんだ。
早く学校に行かないとヒバリにボコボコにされるぞ」
「それを先に言えーッ!」
ザアッと顔から血の気が引く。
並盛中の遅刻率は恐ろしく、低い。
理由は明白。遅刻者の取り締まりは風紀委員の管轄だからだ。
通常なら風紀委員達から゛教育的指導゛を受けることになるが(これだけでもご遠慮したい)、運が悪ければ……委員長じきじきに゛指導゛をして頂くはめになる。
委員長様の機嫌が良い時ならボコボコにされるだけで済むのでまだいいが(いや全然よくはないが)、悪い時は………パンツ一枚で木に逆さ吊りされていたり、顔だけ出して校庭に埋められていた連中のことを思い出して、綱吉はガタガタと身を震わせる。
そして慌てて部屋を飛び出すと、それきり不可思議な夢のことは頭の隅に追いやった。
ゴボリ、
分厚い強化ガラスに満たされた水の中、いくつもの気泡がいびつな球を作って浮かび上がる。
拘束具に自由を奪われ、全身にチューブを装着された痛々しい姿で、六道骸はゆうるりと薄い唇を吊り上げた。
(ああ、何だったんでしょうあの夢は。
馬鹿馬鹿しい…けれど、悪くは無かった)
自分と沢田綱吉が恋人だなんて馬鹿げているし、何よりこの六道骸が他人に対してあんな態度を取るなんて、ありえない。
しかし、キスをしろという要求に、困りきったように情けなく眉を下げながらそれでも従った沢田綱吉を思い出すと、それだけで愉しい気持ちになる。
沢田綱吉のことを考える時、骸は決まって複雑な感情に襲われた。
怒り、憎しみ、嫌悪、侮蔑、苛立ち…だが、それだけではない胸に迫る何か、吐き気がするほど酷く甘ったるい何かがあるのもまた事実だ。
それを何と呼ぶのか、骸は知らない。
けれど、そんなことはどうでも良かった。
ただひとつ、はっきりしていることがある。
(…沢田綱吉に、会いたい。)
早く此処を出て、再び彼の心に自分という存在を焼き付けてやりたい。
その瞬間を夢見て、骸は再び意識を底の見えない闇の中へと漂わせた。
終
携帯館の方で尋睦さまより頂いたリクエスト『甘めむくつな、受けが鈍ちんで攻めが片思い風味』。
ちゃんとリク内容に沿えているかとても不安です…甘いの目指したつもりなんですが、ギャグだかシリアスだかあまあまだかよくわかんなくなった…orz
こんなものでも少しでも楽しんで頂ければ幸いです!尋睦さまリクエスト本当にありがとうございました!
御影
※ブラウザバックでお戻り下さい。
2007.09.17